故事

中國故事

米中の勢力が「伯仲」する時代

【日本語に生きる中国故事】米中の勢力が「伯仲」する時代 『経済覇権のゆくえ 米中伯仲時代と日本の針路』(中公新書) これは、飯田敬輔氏の著書で、「BOOK」データベースに次のような紹介がある。 「アメ ...

中國故事

ボルトン、米国の対中政策に「臍を噛む」思い

【日本語に生きる中国故事成語】ボルトン、米国の対中政策に「臍を噛む」思い 「香港では民主主義の運動が鎮圧され、南シナ海では中国の拡張政策が継続され、貿易戦争やテクノロジー戦争も勃発した。新興のライバル ...

中國故事

習近平、万事休すか

「習近平、万事休すか…とうとう日米豪印が『中国包囲網』へと動き始めた…!」(現代ビジネス、2021.3.12)
安倍前首相の提唱が端緒となって生まれた日米豪印4か国による安全保障や経済を協議する枠組み、いわゆるQUAD(クアッド)の初の首脳会議が昨年3月12日にオンラインで開催された。記事によると、最大の焦点は、「中国に対する包囲網を具体的にどう形成するか」だという。

中國故事

中国離反の「先鞭を付けた」リトアニア

これは、岡田幸夫氏の著書のタイトルだが、「開国へ先鞭をつけた」とはどういうことか。1639年に始まった江戸幕府の鎖国は、1854年の日米和親条約締結によって終結し、日本は再び開国となるわけだが、蘭学者の高野長英(1804~1850)と画家でありながら蘭学者と親交のあった渡辺崋山(1793~1841)がそれよりも早くに開国の必要性を唱え、それが1854年の開国につながったということである。

中國故事

コロナ禍の中、観光業界の「暗中模索」

今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年の間に書いたもので、当時の社会情勢に絡めて執筆しています。執筆年月日は各記事末に記載していますので、タイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。

中國故事

「せっかく」首相に選ばれるのだから…

今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年の間 ...

中國故事

香港百万人反政府デモ 「立錐の余地もなし」

  今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年 ...

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誠実で約束を固く守る宋濂

 宋濂(1310年~1381年)は明代初めの文学者で、学士の官職に就きました。彼は儒家の教えを受け継ぐことを自らの信念として貫き、文章の作風を道徳の内包と一致するように提唱していました。彼は幼い時から約束を守り、勉学に励み、「幼い頃から老いるまで、一日たりとも書物を読まない日はなく、学問においては通じない分野はない」と述べています。

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修煉者から見た疫病とその難から逃れる術|音声・字幕版【哲思心語】

<章天亮教授>
中国生まれ。2000年に米国留学、2007年電子工学博士の学位取得。現在、ニューヨーク飛天大学教授。これまで、歴史、文化、時事評論に関する文章を多数発表。2011年から新唐人テレビとの協力で、大型歴史番組『笑談風雲』を制作中。完成すれば、二十四史の主要事件と人物を網羅した映像版中国通史となる。

filial devotion

孝心が天地の心を打ち 泣いて筍が生える

三国時代呉の国の孟宗は子供の時からよく母に親孝行をしていました。ある年の冬、孟母は病気になって、何日間も食欲がありませんでした。看病していた孟宗は心配して尋ねました。「お母さん、食べたいものがあれば、言って下さい。私が作りますから。」孟母は弱々しい声で言いました。「前に後山の筍を食べたことがあります。本当に美味しかったわ。」これを聞いた孟宗は困りました。

zhesixinyu1

【哲思心語】修煉者から見た疫病とその難から逃れる術|字幕版

中国生まれ。2000年に米国留学、2007年電子工学博士の学位取得。現在、ニューヨーク飛天大学教授。これまで、歴史、文化、時事評論に関する文章を多数発表。2011年から新唐人テレビとの協力で、大型歴史番組『笑談風雲』を制作中。完成すれば、二十四史の主要事件と人物を網羅した映像版中国通史となる。

litairyo

諫言憚らず、報恩忘れず

唐代の貞観(ていかん)年間、李大亮は凉州の都督(古代の軍事長官)の官職に就いていたことがある。朝廷から来た使者は彼が飼っているすばらしい鷹を見て、太宗皇帝に献上するよう進言した。彼は皇帝に密かに上奏した。「陛下は狩猟を断たれて久しいのに、使者が鷹を献上するよう求めました。これが陛下の真意であるならば、陛下はご自身の本意に背くことになります。もし使者の考えであるならば、人選が適切でなかったことになります。」太宗皇帝はそれを読むと、「このような臣下がいる限り、余に何の心配があろうか?」と呟いた。

王羲之教子:七缸水-1

七つの水がめの水

王献之の書道の芸風は、父親の王羲之と同じく中国の歴史において名声を博している。しかし、それは彼自身の骨身を惜しまない練習以外に、父親の指導の賜物でもあった。

滴水之恩涌泉相报

水一滴の恩に湧泉で報いる

 古人曰く、「一滴の水の恩に涌き出る泉のような大きさで報いる」。本当の君子とはこのような人で、少しばかりの恩に、自ら命を捧げて報いようとした。

王安石下棋识人

王安石は囲碁で人を識る

北宋時代の優れた臣下である王安石は余暇に囲碁を打つのが好きで、宰相の時には家に幾人かの棋士を抱えていた。王安石は毎日の忙しい公務を終えた後、家に帰り度々これらの棋士と碁を打ち、誰かが彼に勝てば、銀十両を褒美として与えた。

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