日本語に活きる中国故事

日本を「牛耳る」巨大組織の虚と実

中國故事

今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。随分前に当時の社会情勢に絡めて書いたものも織り交ぜながら掲載します。古いものはタイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。

【日本語に生きる中国故事】日本を「牛耳る」巨大組織の虚と実

人が集まると、それを取りまとめる人が現れる。「私」を捨て常に「他」のことを考え「公(おおやけ)」の利益を優先するとき、その人は人望厚きリーダーとなる。ところが、「私」の利権を考え独断で事を強引に推し進め、周りの者がそれに従わざるを得なくなったとき、その人は独裁者であり、そのグループを「牛耳る」者と見なされる。

それが日本社会の進む方向を左右するほどに大きな権威・権力を持つようになったとき、われわれはその動向を、大きな関心を持って注視しておかねばならない。どこに暴走していくかわからない危険性を併せ持つから。

このような観点から「日本の行く末を握る会社・役所・団体を徹底解剖」して見せてくれているのが、『日本を牛耳る巨大組織の虚と実』(宝島社)。一読をお勧めする。

中国の春秋戦国時代、諸侯が一堂に会して同盟を結ぶとき、牛の血をすすって誓いを立てるという儀式が行われた。牛の耳を切り取り、玉のお皿に載せ、それを盟主が捧げ持つ。天地の神に祭ったのち、まずは盟主が牛の血を口に塗り、続いて、他の諸侯が次々にその血をすすって、天地の神に同盟の誓いを立てる。(『春秋左氏伝』より)

牛の耳を載せたお皿を最初に捧げ持つことができたのは、最も実力のある諸侯であったことから、「牛耳を執る」が主導権を握るという意味で使われるようになり、日本語ではそれがさらに「牛耳る」という動詞に変化したと考えられる。

ところで、「牛耳る」ということばが使われ始めたのは意外に新しい。田辺尚雄氏の『明治音楽館』に、一高時代の夏目漱石教授の授業の思い出を書いたくだりがあり、そこで、漱石が「牛耳を執る」を「牛耳る」、「野次を飛ばす」を「野次る」という具合に、次々に新しいことばを作り出していったと紹介されているという。金田一春彦が『日本語を反省してみませんか』に記している。

(瀬戸 2010/07/10執筆)

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