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誠実で約束を固く守る宋濂
宋濂(1310年~1381年)は明代初めの文学者で、学士の官職に就きました。彼は儒家の教えを受け継ぐことを自らの信念として貫き、文章の作風を道徳の内包と一致するように提唱していました。彼は幼い時から約束を守り、勉学に励み、「幼い頃から老いるまで、一日たりとも書物を読まない日はなく、学問においては通じない分野はない」と述べています。
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修煉者から見た疫病とその難から逃れる術|音声・字幕版【哲思心語】
<章天亮教授>
中国生まれ。2000年に米国留学、2007年電子工学博士の学位取得。現在、ニューヨーク飛天大学教授。これまで、歴史、文化、時事評論に関する文章を多数発表。2011年から新唐人テレビとの協力で、大型歴史番組『笑談風雲』を制作中。完成すれば、二十四史の主要事件と人物を網羅した映像版中国通史となる。
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孝心が天地の心を打ち 泣いて筍が生える
三国時代呉の国の孟宗は子供の時からよく母に親孝行をしていました。ある年の冬、孟母は病気になって、何日間も食欲がありませんでした。看病していた孟宗は心配して尋ねました。「お母さん、食べたいものがあれば、言って下さい。私が作りますから。」孟母は弱々しい声で言いました。「前に後山の筍を食べたことがあります。本当に美味しかったわ。」これを聞いた孟宗は困りました。
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【哲思心語】修煉者から見た疫病とその難から逃れる術|字幕版
中国生まれ。2000年に米国留学、2007年電子工学博士の学位取得。現在、ニューヨーク飛天大学教授。これまで、歴史、文化、時事評論に関する文章を多数発表。2011年から新唐人テレビとの協力で、大型歴史番組『笑談風雲』を制作中。完成すれば、二十四史の主要事件と人物を網羅した映像版中国通史となる。
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諫言憚らず、報恩忘れず
唐代の貞観(ていかん)年間、李大亮は凉州の都督(古代の軍事長官)の官職に就いていたことがある。朝廷から来た使者は彼が飼っているすばらしい鷹を見て、太宗皇帝に献上するよう進言した。彼は皇帝に密かに上奏した。「陛下は狩猟を断たれて久しいのに、使者が鷹を献上するよう求めました。これが陛下の真意であるならば、陛下はご自身の本意に背くことになります。もし使者の考えであるならば、人選が適切でなかったことになります。」太宗皇帝はそれを読むと、「このような臣下がいる限り、余に何の心配があろうか?」と呟いた。
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七つの水がめの水
王献之の書道の芸風は、父親の王羲之と同じく中国の歴史において名声を博している。しかし、それは彼自身の骨身を惜しまない練習以外に、父親の指導の賜物でもあった。
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水一滴の恩に湧泉で報いる
古人曰く、「一滴の水の恩に涌き出る泉のような大きさで報いる」。本当の君子とはこのような人で、少しばかりの恩に、自ら命を捧げて報いようとした。
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王安石は囲碁で人を識る
北宋時代の優れた臣下である王安石は余暇に囲碁を打つのが好きで、宰相の時には家に幾人かの棋士を抱えていた。王安石は毎日の忙しい公務を終えた後、家に帰り度々これらの棋士と碁を打ち、誰かが彼に勝てば、銀十両を褒美として与えた。
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仲由は米を背負う
仲由は春秋時代の魯国の人物で、字(あざな)は子路(しろ)、孔子の生徒で「孝子」としても有名です。小さい頃から家が貧しかったため、仲由はとてもつつましく暮らし、いつも野草を食べていました。
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蛍雪の功
今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~ ...
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西瓜畑に灌水
これは楚国と梁国の国境に位置する、2つの県の物語である。春秋時代に宋就(そうしゅう)という梁国のある県の長官がいた。当時、両国間の出入りは禁じられていた。そこで、それぞれに見張り所を設置し、境界線を挟み、互いにスイカ畑を作った。
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【中国故事成語】破釜沈舟
このことわざは『史記 項羽本紀』に由来する。釜を壊し船を沈めるということで、退路を断ち最後まで全力で立ち向かう決意を表す。
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国士無双
マージャンをたしなむ方ならおわかりでしょうが、「国士無双」とは、字牌7種と一九牌6種を1枚ずつ揃え、そのうちのどれか1種をもう一枚加えて雀頭としたあがり方で、かなり点数が高くなります。
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断腸の思い
東晋の武将、桓温(かんおん)が蜀の地に攻め入り、三峡(長江の上流の渓谷)にやってきたとき、従者が子猿を捕まえました。子供を捕まえられた母猿は、岸沿いに哀しげに泣き叫びながら、百里あまりもついてきました。そしてついに、船に飛び移ったのですが、その途端、息絶えて死んでしまいました。
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杞憂
昔、杞の国に、とてもとても心配症の人がいました。来る日も来る日も、「天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどこへ逃げたらいいだろう」と心配し、夜も眠れず、ご飯も喉を通りませんでした。