中国故事に学ぶ人の道

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誠実で約束を固く守る宋濂

 宋濂(1310年~1381年)は明代初めの文学者で、学士の官職に就きました。彼は儒家の教えを受け継ぐことを自らの信念として貫き、文章の作風を道徳の内包と一致するように提唱していました。彼は幼い時から約束を守り、勉学に励み、「幼い頃から老いるまで、一日たりとも書物を読まない日はなく、学問においては通じない分野はない」と述べています。

filial devotion

孝心が天地の心を打ち 泣いて筍が生える

三国時代呉の国の孟宗は子供の時からよく母に親孝行をしていました。ある年の冬、孟母は病気になって、何日間も食欲がありませんでした。看病していた孟宗は心配して尋ねました。「お母さん、食べたいものがあれば、言って下さい。私が作りますから。」孟母は弱々しい声で言いました。「前に後山の筍を食べたことがあります。本当に美味しかったわ。」これを聞いた孟宗は困りました。

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諫言憚らず、報恩忘れず

唐代の貞観(ていかん)年間、李大亮は凉州の都督(古代の軍事長官)の官職に就いていたことがある。朝廷から来た使者は彼が飼っているすばらしい鷹を見て、太宗皇帝に献上するよう進言した。彼は皇帝に密かに上奏した。「陛下は狩猟を断たれて久しいのに、使者が鷹を献上するよう求めました。これが陛下の真意であるならば、陛下はご自身の本意に背くことになります。もし使者の考えであるならば、人選が適切でなかったことになります。」太宗皇帝はそれを読むと、「このような臣下がいる限り、余に何の心配があろうか?」と呟いた。

王羲之教子:七缸水-1

七つの水がめの水

王献之の書道の芸風は、父親の王羲之と同じく中国の歴史において名声を博している。しかし、それは彼自身の骨身を惜しまない練習以外に、父親の指導の賜物でもあった。

滴水之恩涌泉相报

水一滴の恩に湧泉で報いる

 古人曰く、「一滴の水の恩に涌き出る泉のような大きさで報いる」。本当の君子とはこのような人で、少しばかりの恩に、自ら命を捧げて報いようとした。

王安石下棋识人

王安石は囲碁で人を識る

北宋時代の優れた臣下である王安石は余暇に囲碁を打つのが好きで、宰相の時には家に幾人かの棋士を抱えていた。王安石は毎日の忙しい公務を終えた後、家に帰り度々これらの棋士と碁を打ち、誰かが彼に勝てば、銀十両を褒美として与えた。

仲由は米を背負う

仲由は米を背負う

仲由は春秋時代の魯国の人物で、字(あざな)は子路(しろ)、孔子の生徒で「孝子」としても有名です。小さい頃から家が貧しかったため、仲由はとてもつつましく暮らし、いつも野草を食べていました。

西瓜

西瓜畑に灌水

これは楚国と梁国の国境に位置する、2つの県の物語である。春秋時代に宋就(そうしゅう)という梁国のある県の長官がいた。当時、両国間の出入りは禁じられていた。そこで、それぞれに見張り所を設置し、境界線を挟み、互いにスイカ畑を作った。

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