今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年の間に書いたもので、当時の社会情勢に絡めて執筆しています。執筆年月日は各記事末に記載していますので、タイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。
「あまり後ろから押し付けられる息苦しさに、時々背伸びをしようとしたり、肩を揺す振らうとして見るが、立錐の余地もない雑沓(ひとごみ)で、殆んど身動きが出来ぬ。まるで枷を篏められたやうである。」
これは、谷崎潤一郎の『Dream Tales』の一節である。後に続く「右や左の人の体が、びツたりと私にくツ着いて居る。~何処迄が自分の体で、何処までが他人(ひと)の体だか、判らない位である。」という描写からも、いかに「立錐の余地もない」ほどに込み合っていたかがわかる。
「立錐の余地もない」とは、「錐(きり)を立てることもできないほどに土地や場所が狭い」ということで、次の故事が語源だと言われる。
楚の項羽に包囲されてしまった漢の劉邦は、どうすればいいか、論客の酈食其(レキイキ)に相談したところ、酈食其は次のように進言した。
「今、秦は徳を失い義を捨てて、各国に攻め入り、六国(韓・魏・燕・趙・斉・楚)の子孫を滅ぼし、【錐を立てるだけのわずかな土地さえ与えなかった】。今、六国を復興させれば、その子孫たちが感謝するであろうし、楚の項羽も襟を正して仕えるようになるだろう。」(史記・留侯世家)
【 】で囲んだ部分の原文が「使無立錐之地」(立錐の地無からしむ)で、ここから、「立錐の余地もない」という表現が生まれたとされる。
ところで、この話には続きがあり、劉邦は一旦は酈食其の進言を聞き入れたが、参謀の張良が理由を八つ並べてその進言を否定したことから、劉邦は酈食其を「えせ儒学者」と罵ったのである。
さて、冒頭の「立錐の余地もない雑沓(ひとごみ)」ですぐさま私の脳裏に浮かぶのは、香港で2019年6月から半年続いた反政府デモの光景である。
立錐の余地もないほどにそびえ立つビル群の谷間に、立錐の余地もないほどに多くの民衆が繰り出して、言論の自由・民主を抑え込むための条例の制定に反対したわけだが、「一国二制度」を反故にする北京の厚顔で横暴な策略によって、民主活動家が次々に不当に逮捕され、完全に抑え込まれてしまった。
その後、香港では民主派メディアが次々に廃刊に追い込まれ、先月行われた香港立法会選挙では、親中派が99%にあたる89議席を占めるに至った。最早、かつての活気あふれる自由な香港は消し去られてしまった。残念でならない。
(瀬戸 2022/1/2執筆)