中国伝統文化

【中国故事成語】破釜沈舟

破釜沉舟


このことわざは『史記 項羽本紀』に由来する。釜を壊し船を沈めるということで、退路を断ち最後まで全力で立ち向かう決意を表す。

秦末、各地で次々に一揆が起こった。その時、項羽と叔父の項梁は呉中で秦に謀反を起こし、その勢いはすさまじいものであった。項羽は体格が良く怪力の持ち主で、鼎を一人で持ち上げることができた。二人は兵を起こしてからというもの、次々に敵を打ち破り、快進撃を続けた。

項梁は戦いで勝利を重ねるうちに、驕りが生まれ、ついには定陶で戦死してしまった。秦の将軍章邯が軍を率いて黄河を渡り、北上して趙の国を包囲攻撃した。趙は危機に陥り各国に助けを求めた。しかし、各国の援軍は秦軍の勢いが強いとみると、趙を助けに出ようとはしなかった。救援軍の大将宋義も秦軍に恐れをなして戦機を誤った。それを見た項羽はかっとなり、テントの中で宋義を殺すと、自ら兵を率いて趙を助けに出た。

破釜沉舟2

項羽は大軍を率いて黄河を渡ると、滔々と流れる大河を前に、八千の楚の兵に誓いを立てた。「秦軍を破るまで決して引き下がらない。章邯を片付けねば、我は人にあらず。天と大河に誓う。我が力は山をも引き抜き、気は世を蓋う。英雄豪傑に二言はない。」

そう言うと、項羽は釜を壊し船を沈めるよう命じた。テントも焼き払い、戦いに敗れればまた河を渡って帰ることができるという兵士たちの考えを断ち切ったのである。乾飯(ほしいい)をそれぞれ三日分だけ分け与え、決死の覚悟を示した。楚の兵はすでに退路がなくなったのを見ると、項羽の指揮の下、それぞれが死に物狂いに十人分の戦いを繰り広げ、ついには勇猛果敢な秦軍を打ち破った。これを機に、項羽はその名を天下に轟かせ、諸侯の覇者となったのである。

 

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