中国故事に学ぶ人の道

誠実で約束を固く守る宋濂

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 宋濂(1310年~1381年)は明代初めの文学者で、学士の官職に就きました。彼は儒家の教えを受け継ぐことを自らの信念として貫き、文章の作風を道徳の内包と一致するように提唱していました。彼は幼い時から約束を守り、勉学に励み、「幼い頃から老いるまで、一日たりとも書物を読まない日はなく、学問においては通じない分野はない」と述べています。

 宋濂は自作『送東陽馬生序』の中で次のように語っています。「幼い時は学ぶことが大好きだったが、家が貧しくて本を買えなかった。そこで書物をたくさん持っている人から借りて読むしかなかったのだが、借りて来たら、約束の日までに返せるよう、毎日急いで書き写し、決して期限に遅れることはなかった。このように、約束を守り誠実であったことから、人々はたいてい本を貸してくれ、たくさんの書物を読むことができた」

 ある時、宋濂は本を借りました。読めば読むほど手放したくなくなり、それを書き写すことにしました。やがて、本を返す期日が迫ってきました。ちょうど厳冬の12月で、北風が吹きすさび、硯の墨も凍ってしまうほどでしたが、家が貧しく火を起こして暖を取ることもかないませんでした。指は寒さでかじかんでしまいましたが、それでも徹夜で本を書き写しました。そして、写し終えると、走って本を返しに行き、決して約束の日を超えることはありませんでした。

 宋濂は、貧しさや飢え、寒さを意に介さず、苦しいとは思いませんでした。一心に努力し勉学に励み、人としての道理がいろいろと分かりました。20歳の成年になると、彼はいっそう聖賢の道を渇望するようになりました。しかし、近くには教えてくれる先生がおらず、疑問があっても答えが得られないことがしばしばありました。そんな時、彼は百里(50㎞)あまりの道を歩いて、同郷の優れた先生に教えを請いに行きました。

 ある時、宋濂は遠方の先生に教えを請うことにし、会う日を約束しました。ところが出発の日に大雪が降って来ました。出かけようとする彼を見て、母は驚いて言いました。「こんな天気で遠出などどうしてできましょうか。それに、先生のところはもうとっくに大雪で山が閉ざされています。あなたのこの古い綿入れの上着では、奥山の寒さに耐えることもできないでしょう」。すると宋濂は「今日出発しなければ、先生にお会いする日に間に合いません。遅れることは先生に対する最大の不敬です。吹雪がどんなにひどくなろうとも、出発しなくてはならないのです」と答えました。彼はわらじを履き、荷物を背負って、数尺もある深い雪を踏みしめながら、一人山奥を歩いて行きました。先生の家に着いた時、宋濂の手足は寒さでかじかんで動かせなくなっており、ずいぶん時間が経ってようやく感覚が戻りました。先生は「あなたは約束を守り勉学に励んでおり、将来きっと優れた人物となるでしょう」と大いにほめたたえました。

 宋濂は貧しさに耐え、苦難の生活を強い意志を身につけるための試練と見なし、苦しみを楽しみとすることができたからこそ、立派に事を成し遂げることができたのです。彼は「心の中には自分を楽しく夢中にさせることがある。書を読み道理をわきまえるのは最も神聖なことであり、幸いにも君子の中に身を置くこともできた」と述べたことがあります。(『明史』)

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