【日本語に生きる中国故事】米中の勢力が「伯仲」する時代
『経済覇権のゆくえ 米中伯仲時代と日本の針路』(中公新書)
これは、飯田敬輔氏の著書で、「BOOK」データベースに次のような紹介がある。
「アメリカ覇権の下で出発した戦後の国際経済秩序は、アメリカの衰退と日本の挑戦、そして中国などBRICS諸国の躍進を経て、米中が勢力伯仲する時代に入りつつある。この難局に日本がとるべき針路を探る。」
本書は2013年に出版されたものであるが、その後中国は確実に、政治・軍事・経済面で覇権主義を強め、米中の勢力は間違いなく「伯仲」してきた。そんな中、日本は今、横暴な中国に忖度することなく、はっきりとした意思表明ができるかどうかが問われている。
中国では古くには、兄弟の年齢を上から順に、「伯・仲・叔・季」といった。このうち、「伯」と「仲」は長兄と次兄で、年の差が少ないことから、優劣の差のないことを「伯仲之間」と言うようになったと言われる。次の故事がそうである。
「昔から文人は、お互いに相手を軽んじてきた。傅毅(ふき)を班固(はんこ)と比べてみるに、【優劣の差はない】。」(典論・論文)
傅毅も班固も後漢の著名な文人で、【 】の部分の原文が「伯仲之間」である。
日本語でも、次例のように「伯仲の間」の用法がある。
「先生の服装は中野君の説明したごとく、自分と【伯仲の間】にある。先生の書斎は座敷をかねる点において自分の室(へや)と同様である。~先生の顔は蒼い点において瘠せた点において自分と同様である。すべてこれらの諸点において、先生と弟たりがたく兄たりがたき間柄にありながら、~」(夏目漱石「野分」)
ここでは、先生と私は「似たり寄ったりだ」ということだ。
ただ、現代では、冒頭の例のように、「(実力・勢力が)伯仲する」の形で使われるのが一般的である。
ところで、上の故事の出典である『典論』は、『三国志演義』で有名な曹操の長子・曹丕(そうひ、187年~226年)が著した文学論で、現存する「論文」は名文と言われる。曹丕の弟・曹植(そうち)も優れた文学者であったが、兄にその才能を妬まれ、ある日、「七歩歩くうちに詩を作れ。さもなくば厳罰に処する」と迫られた。ところが、さすがは曹植。「豆がらは釜の下で燃え、豆は釜の中で泣く。元は同じ根から育ったのに、煮るのをどうしてそんなに急ぐのか」と、兄の非情を詠んでみせた。有名な「七歩詩」である。
(瀬戸 2022/1/8執筆)