日本語に活きる中国故事

森友学園をめぐる財務省の決裁文書「改竄」問題

中國故事

【日本語に生きる中国故事】森友学園をめぐる財務省の決裁文書「改竄」問題

「卑劣な打ち切り」 森友文書改竄訴訟 国対応に怒り(THE SANKEI NEWS、2021.12.15)

学校法人「森友学園」をめぐる財務省の決裁文書改竄問題で、自殺した赤木俊夫さんの妻、雅子さんが国に損害賠償を求めた訴訟が、国側が一転して国家賠償法上の責任を認めたことによって終結した。賠償金よりも、改竄の指示の流れなどの真相が解明されることを強く望んでいた雅子さん側は、「一方的に打ち切った卑劣な行為」だとして、怒りをあらわにしたという。

「改竄」という語は、次の故事に見られる。

晋の文帝が阮籍(210~263年)に文章を書くように言った。ところが、阮籍はすっかり酔っぱらって文章を作ることを忘れた。使者が文章を取りに行ってみると、阮籍は机に寄りかかって眠っていた。使者が阮籍を起こすと、阮籍はすぐに下書きを書き、これを清書させたのだが、【書き改めるところはなく】、文章ははなはだすっきりとして立派であった。(晋書・阮籍伝)

この故事の【 】の部分の原文が「無所改竄」である。

ところで、「竄」の字は本来、鼠が穴に隠れるように、こそこそと逃げ隠れることを表すが、「改める」という意味でも使われたようで、「改」の字と併用して「改竄」の形で「書き改める」意味を表した。上の故事の「改竄」がそうで、ここには「こそこそ」という意味は含まれない。

ところが現代では、中国語でも日本語でも往々にして、冒頭の例のように、自分の都合のいいようにこっそり書きかえることを表し、否定的な意味で用いられる。

最後に大正から昭和初期の例を二つ。

・トルストイはその秋ただちにこの物語の筆を染め、爾来四年間に、幾度となく【改竄】推敲を重ねた後、ようやく本篇の発表機関となった『ユリエフ記念文集』の編纂者の手に渡されたのであった。(クロイツェル・ソナタ 解題、米川正夫、1928)

・勿論予はこの遺書を公にするに当つて、幾多の【改竄】を施した。譬へば当時まだ授爵の制がなかつたにも関らず、後年の称に従つて本多子爵及夫人等の名を用ひた如きものである。(開化の殺人、芥川龍之介、1918)

この2例からは、「自分の都合のいいようにこっそり」という意味は読み取りがたい。当時は、「改竄」は否定的な意味を伴わずに単に「書き改める」という意味で用いられていた、あるいはそのように用いられることも多かったのではないかと推察される。

(瀬戸 2022/1/21執筆)

-日本語に活きる中国故事
-,

© 2024 希望之聲 日本