今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。随分前に当時の社会情勢に絡めて書いたものも織り交ぜながら掲載します。古いものはタイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。
【日本語に生きる中国故事】安倍元首相、「先ず隗より始めよ」で給与カット
安倍晋三元首相は2006年9月26日夜、首相官邸で就任後初の記者会見に臨み、財政再建の模範を示すため、「『隗より始めよ』という考えの下、私の給与を30%カットする。閣僚の給与も10%カットする」と自らの決意を表明しました。
安倍氏は、まずは自ら始めると言いたかったのでしょうが、「先ず隗より始めよ」は、本来は別の意味でした。
中国の戦国時代、斉(せい)の国に国土の大半を占領された燕(えん)の昭王が、国威を回復させるために優れた人物を集めようと考え、宰相の郭隗(かくかい)に意見を求めました。すると、郭隗曰く、
昔、ある君主が千金を出して、1日に千里走る名馬を求めようとしましたが、3年経っても求めることができませんでした。そこで、宮中のある男が「私が買ってきましょう」と申し出ました。その男は、千里の馬を見つけることができましたが、その馬は惜しくもすでに死んでしまっていました。ところが、彼は、何を考えたのか、死んだ馬の骨を五百金で買って戻ってきたのです。君主がそれを大いに怒ると、彼はこう言いました。
「王が、死んだ馬でさえ五百金で買い取るという噂が広まれば、人々は生きた馬ならもっと高く買ってもらえると考え、きっと良い馬が集まるにちがいありません」
果たして、1年も経たないうちに千里の馬を携えた者が3人やってきました。
今、昭王が賢者を集めたいとお考えなら、まずこの隗を重く用いてください。あの隗でさえあれほど重用されているという噂が広まれば、きっと、私よりも優れた者が千里の道を厭わずにやってくるに違いありません。
昭王は隗の話を聞きいれ、彼のために立派な宮殿を築き、厚遇しました。すると、その噂が各国に伝わり、優れた人物が争って燕にやってきました。その結果、昭王はついに斉の国を破ることができたのです。
(『戦国策』燕策より)
つまり、「先ず隗より始めよ」とは本来、大事業をなすには先ずは手近な私から始めよということだったのですが、それが、まずは手近なところから着手せよという意味に広がり、いつの間にか、先ずは言い出した者から始めよという意味で使われるようになったということです。
『隗より始めよ―体験的・ホンダの人間学』(かんき出版、1983年)という本があります。“ホンダの最高参謀、仕掛人”と評された西田通弘氏が、カリスマ的創業者・本田宗一郎氏と藤沢武夫氏と共に働いた経歴を通じて、ホンダの経営哲学やヒット商品を生み出す人間集団づくりなどについて公開したものです。タイトルの「隗より始めよ」がどういう意味で使われているのか、興味深い内容と合わせて、一読をお勧めします。
(瀬戸 2010/03/06執筆)