日本語に活きる中国故事

小説家としての「登竜門」

中國故事

今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年の間に書いたもので、当時の社会情勢に絡めて執筆しています。執筆年月日は各記事末に記載していますので、タイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。

【日本語に生きる中国故事】小説家としての「登竜門」

ブログで日記を公開すれば、プチ「作家」。おしゃべりをそのまま携帯に流しただけで、ケータイ「小説家」。少しお金を出せば、自費出版で見栄えのいい本の「著者」に。

今は「一億総物書き」と言われるように、誰もが小説家や作家になれる。が、誰もが一流になれるわけではない。

自分の本が店頭に並び、雑誌社や出版社から途切れることなく執筆依頼が来て、ペン1本で生業(なりわい)を立てることができるようになるには、新人としてその実力を認められねばならない。

その作品発表の場が、太宰治賞や河出書房新社の文芸賞などであり、ここで賞をもらうことができれば、一人前の小説家の仲間入り。そこで、これらの賞を小説家としての「登竜門」という。

後漢の末期、宦官の横暴で朝廷は乱れ、綱紀は退廃していた。そんな中、公明正大な李膺(りよう)がただ一人、宮廷の実力者として綱紀粛正を図ろうとした。そこで、当時の青年官僚たちは、李膺と近づきになり、李膺の推薦を受けることを大きな名誉として、それを「登竜門」(竜門に登る)と称した。(『後漢書』党錮・李膺伝より)

この故事から、困難ながらも、そこを通れば立身出世がかなう関門のことを「登竜門」というようになった。

なお、「竜門」とは、夏朝の皇帝・禹(う)が治水のために黄河上流の竜門山を切り開いてできた急流のことで、それを登ることができた魚は竜になると伝えられている。

(瀬戸 2010/06/12執筆)

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