中国故事に学ぶ人の道

諫言憚らず、報恩忘れず

litairyo

 唐代の貞観(ていかん)年間、李大亮は凉州の都督(古代の軍事長官)の官職に就いていたことがある。朝廷から来た使者は彼が飼っているすばらしい鷹を見て、太宗皇帝に献上するよう進言した。彼は皇帝に密かに上奏した。「陛下は狩猟を断たれて久しいのに、使者が鷹を献上するよう求めました。これが陛下の真意であるならば、陛下はご自身の本意に背くことになります。もし使者の考えであるならば、人選が適切でなかったことになります。」太宗皇帝はそれを読むと、「このような臣下がいる限り、余に何の心配があろうか?」と呟いた。

 李大亮は皇帝に物事の是非や正邪を説くことを憚らなかった。彼の官位はかなり高いのに、その住まいは狭く粗末なものであった。当時、彼は戦功により百人の下男、下女を下賜された。李大亮は彼らに「あなた方は元々官吏の家柄の子女であったが、不幸なことに一家離散の目に遭われた。私はあなた方を使用人にすることは耐えられない。」と告げ、彼らを放免した。その後、彼は子孫のいない一族三十数名を丁重に葬った。

 李大亮は隋朝末期の戦乱で李軍(後の唐王朝樹立)に捕らえられたが、李軍の張弼(ちょうひつ)の助けを得て釈放され、九死に一生を得た。彼は富貴になった後、その恩返しがしたかったが、張弼を探しあてることはできなかった。そんなある日、偶然にも張弼を見つけると、彼を抱いて号泣し、自分の全財産を譲りたいと申し出た。しかしその申し出は頑なに断られた。そこで李大亮は皇帝に「私が陛下にお仕えできるのは、ひとえに張弼のおかげです。どうか私の官職と爵位を彼に与えて頂けないでしょうか。」と願い出た。皇帝は張弼に「中郎将の位と代州の都督の職」を与えた。李大亮は決して恩義に報いることを忘れなかったことで、人々に大いに尊敬されることとなった。

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