仲由は春秋時代の魯国の人物で、字(あざな)は子路(しろ)、孔子の生徒で「孝子」としても有名です。
小さい頃から家が貧しかったため、仲由はとてもつつましく暮らし、いつも野草を食べていました。しかし、自分は野草を食べても構わないが、両親にまで野草ばかりを食べさせるのは忍びないし、体に悪いだろうといつもとても心配していました。
家には米がないために両親が米を食べられるように、仲由は百里(50キロ)も離れた所まで米を買いに行き、その米を背負って帰りました。百里の道は非常に遠いもので、現代の人なら1、2回往復することができたとしても、一年中米を背負って帰ることを続けることは、とても大変で困難なことです。しかし、仲由は艱難辛苦をものともせず、暑い日も寒い日も彼は骨身を惜しまず、百里も離れた所へ行き、両親のために米を買い、そしてその米を背負って帰りました。
冬には天気が非常に悪く寒い大雪の中、仲由は凍りついた川を渡り、滑りながらも一歩一歩前へ進みました。道中足が凍え、米袋を背負う両手も冷え切ってしまうため、立ち止まっては息を吐きかけ、手を暖めながら、再び家路を急ぎました。夏には炎天の中で汗でびしょびしょになりながらも、休みもせず早く家に帰り両親に美味しいご飯を食べさせようと頑張りました。大雨の日には、仲由は自分の着ている着物で米袋を覆い隠し、自分はびしょぬれになっても米袋が濡れないようにしました。
これほど大変なことを根気よく続けることは、本当に容易なことではありません。
両親が亡くなってから、仲由は南下し楚国にたどり着きました。楚王は仲由を役人として迎え、礼遇し、俸禄も非常に手厚く与えました。彼は毎日山海の珍味を食べ、出かける時には百台の馬車が付き添い、豊かな生活を手に入れました。しかし、仲由は物質的に豊かになったことに喜びをあまり感じませんでした。彼は両親が早く逝去したことを嘆き悲しみました。もし両親が健在で一緒にこのような豊かな生活を暮らすことができれば、どんなに良かっただろうと彼はとても残念に思いました。今、彼は米を背負って百里を往復して親孝行をしたくても、それはもう永遠に叶わないからです。
孝行を尽くすことは物質的な面で評価するものではありません。それはあなたが親に本当に心から誠意を持って敬うことが出来るかどうかを見るのです。仲由の素晴らしいところは、両親に心から孝行をしようとしたことではないでしょうか。彼はそのために百里を奔走して、寒い冬も暑い夏も、米を背負ってでも孝行を尽くし、決してつらい、苦しいなどと感じませんでした。むしろ、親孝行できることを心の底から願い、大いに喜びを感じていたのでした。
仲由が米を背負う物語は後人に、「孝行することには貴賤はなく、皇帝から庶民までどんな状況の中でも、どんなに苦しくて難しくても孝行しようとする心さえあれば、きっとやり遂げることができる」ということを教えてくれました。実は、私たちが親に孝行できる時間は日に日に減っています。親が健在な時に孝行しなければ、いつするのですか。親がいなくなってからでは孝行したくても、もう手遅れなのです。