【日本語に生きる中国故事】「頭角を現した」佐々木朗
・『入社1年目で頭角を現す人、沈む人』(ぱる出版、山口伸一著、2015)
・「2年目の昨季に3勝を挙げ頭角を現した佐々木朗には『3年後、5年後にチームを引っ張っていけるようなエースになっていってほしい』と期待を込めた。」(THE SANKEI NEWS、2022.1.5)
「頭角を現す」とは、多くの人の中で、才能や技芸が一際優れていることを言い、次の故事が語源だと言われる。
子厚は若いときから頭がよくて、何事にも通じていた。父が在世中に、まだ少年ではあったが、すでに大人の風格を備えていた。進士の試験に合格して、【一際高く抜きんでて頭角を現しており】、人々は柳家には立派な男子がいると称えた。(『文章軌範』柳子厚墓誌銘)
「子厚」とは、唐宋八大家にあげられる柳宗元の字で、同じく唐宋八大家の韓愈(かんゆ、768~824年)が柳宗元のために書いた墓誌銘の一節である。【 】の部分の原文が「嶄然見頭角」で、ここから「頭角を現す」という表現が生まれたと考えられる。なお、ここでいう「頭角」とは頭の角ではなく、頭のてっぺんとか頭そのものを指す。また、「見」は「現」に通じ、訓読では「あらわす」と読まれる。
最後に、日本語の例をもう一つ。
「ソレはそれとしてその後私は大阪に行き、是れまで長崎で一年も勉強して居たから緒方でも上達が頗る速くて、両三年の間に同窓生八、九十人の上に頭角(あたま)を現わした。」(福澤諭吉・福翁自伝)
「緒方」とは緒方洪庵の「適塾」のこと。なお、これは青空文庫から引用したものであるが、「頭角」を「あたま」と読ませている。
(瀬戸 2022/1/16執筆)