今私たちが話している日本語の語彙や言い回しの中には、中国の故事を起源とするものがたくさんあります。このコーナーでは、それらをわかりやすくご紹介します。ここに掲載する文章は主に、2009~2013年の間に書いたもので、当時の社会情勢に絡めて執筆しています。執筆年月日は各記事末に記載していますので、タイムスリップしてお読みいただけたら幸いです。
「せっかく首相に選ばれるのだから…」(読売新聞オンライン、2021.10.4)
菅義偉・前首相は、昨年9月に自民党総裁に選ばれた際、「せっかく総裁、総理大臣になるのだから、仕事をしたい」と語り、総務相だった当時にNHK改革に抵抗した担当課長を人事で飛ばした経緯を問われた際も、「せっかく総務大臣になったのだから、NHK改革をやりたいと思った」と語ったそうだ。
「せっかく」に漢字を充てるなら「折角」と書き、その語源は次の通り。
後漢の郭泰という人が、外出先で雨に遭い、被っていた頭巾の角が折れてしまった。郭泰は人々に慕われていたことから、みんなはその真似をして、わざわざ【頭巾の角を折って】、そのスタイルを「林宗(郭泰の字)巾」と呼んだという。(後漢書・郭泰伝)
この【頭巾の角を折って】の原文が「折巾一角」(巾の一角を折りて)で、ここから「折角」という語が生まれたということである。
日本では、江戸時代の儒学者、荻生徂徠がこの故事を引用したこともあり、日本語では「折角」に「わざわざ」の意味が結びつけられたものと考えられる。それは、今も愛媛県で使われる次の例からもうかがえる。
「おまいせっかくえんぽーからここまできてやんなはったんかー」(日本国語大辞典)
この「せっかく」は正に「骨を折って」という意味の「わざわざ」である。
そして、「骨を折って手に入れた今の状態をみすみす逃すのは惜しい」という意味の「せっかく(~なのだから)」に派生していったものと考えられる。
それにしても、菅前首相の「せっかく」の連発には、故郷秋田から上京して、苦労して大学を卒業し、議員秘書、市会議員など地道な努力を重ねた結果として、やっと一国の首相の座を手に入れたという思いがにじみ出ている。
ただそこからは、首相になるべくしてなったというよりは、思いがけずチャンスが巡ってきたという含みも感じ取ることができ、当時は、パンデミックで大変な国を本当にこの人に託していいのかという一抹の不安も感じたものである。
(瀬戸 2021/12/30執筆)